0612日記 人として
(6/12 22時頃 野毛山公園前にて)
自分の気持ちが分からない。
会社からの帰路、大して仲が良い訳でもないけど同じ寮に住んでいる同僚たちと、夕食を買い込みにスーパーに立ち寄る。
べつにこれ自体はなんでもないことだ。いくら俺が人間的に興味が無い会社の同僚との無用な遭遇をなるたけ避けるようにしていたって、タイミング次第ではこういうことも起こる。
本当になんでもない、他愛も無い会話が展開される。今日しんどかったね~とか、明日の席替えの話とか、ごはん派かパスタ派かとか、ここ2か月で得た良い惣菜の知見に関する話だとか、割引きシールの話とか。
あれ、意外と人生ってこんなもんでいいのかな。
そうだ、あと、やっとの思いで手に入れた、プレミアがついてる創作同人誌が近々届くんだった。それが楽しみなんだっだ。俺の人生における幸福の総量を考えたら、こんなもんで十分なんじゃないか。
今、無理をする必要なんか無いんじゃないのか。
そんなことが一瞬でも頭をよぎってしまった自分に嫌気が差す。
というか無理をする/しない以前に、自分の気持ちすらよく分からない。他の人間の気持ちなんてもっと分からないのに。
睡眠障害だって依然として治る気配は無い。
そういう精神的弱さに、何か変化がもたらされるかも、という淡い期待、というか打算もあったんじゃなかったっけ。
それすらも、精神が弱過ぎてどうでもよくなってくる。
むしろ、ならばいっそ、目下その打算だけを行動原理とすべきなのか、とすら思えてくる。
俺はずっと、「考えることを辞めるぐらいだったら死んでた方がマシ」という理念を掲げてきたが、実際には「今後もずっと考えることを辞めない」ことはたぶんとても難しい。
今の研修を受けてる限り、配属後の仕事にやりがいなんて感じなさそうだ。まあ分かってたけど。
創作物に対する熱は未だ冷めないが、これは精神的・肉体的に一定以上元気な人々しか享受できないものなのではないか、と最近思い始めてきた。とは言え娯楽でもあるのだから、その「一定」のハードルはかなり低いはずだが、今の俺はそれさえけっこう怪しい。
そう遠くないうちに、精神も、肉体も擦り減って消え失せてしまうんじゃないか。しかもそれはだんだんと摩耗されていくものだから、自分が消え失せたことに気が付くことすらないだろう。それがただただ怖い。
妹から『最近どう?』とラインが来ている。
俺にとって妹は、家族のうち、唯一仲が良かった人間だ。
兄として、そして人として、返す言葉が見つからない。