絵、音楽

爆音で、明日ちゃん7話を見た 涙が、もう涙がぼろぼろ溢れた

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あの、おれは、四半世紀ずっと生きることを許されなかったのにそんな簡単な決まりごとすら破りつづけて生き果せた人間で、こんな愚図が高校時代にテトラポッドの隙間に失くした自転車の鍵は、きっと今も鈍く光りつづけていると思う。

だからグッバイドングリーズとかは見てない。普段なら狂った体力を使って公開初日に定時で上がって近所のららぽーとまで走っていたはずだが、あのチームの創作は健康な人たちのための娯楽で、おれは完全にその対象ではないことに気付いてしまったから。今すぐには観れない。もしかしたらそのうち観るかもしれない。

 

観ないで何してたかと言うと、もうこれが響かなかったらおれはたぶん本当に死んでしまうんだろうというか死んでいるんだろうという恐怖が肺を冷たく満たしていく感触を、いみじくも振りほどきたくて、半ば無理やりじんの『FREAKS』を聴いて、明日ちゃんの7話を見た。

ぼろぼろに泣いた。ぐしゃぐしゃに響いた。死んでなかった、まだ。初音ミクは天使だと思った。初音ミクという、変な声の天使。嘘つきな大人たちは知らない、おれだけが知ってる天使。FREAKSを聴いているとき、明日ちゃん7話を見ているとき、流れる風があまりに透明で息ができなかった。でも、それは例えば圧殺される夢を毎日見るときよりはたぶん少しマシな呼吸なので、また我儘を言うけれど、せめて星の隅で静かに息をしていたいという気持ちだけは大事にしたいと思った。

 

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良い作画というのは、良い物語に呼応して初めて生まれる。

井上俊之作監回とか山田尚子演出回とか、そういうのじゃ2割も決まらないと思う。

風が薫るのは、良い物語、良い演出の上に良い絵がカチっとはまったとき。ほとんどオカルトなんだけど決定的にキャラクターの息遣いが流れる瞬間が確かにあって、心を根本から揺さぶる先に涙があったりもする。だから本来的に○○は作画じゃなくて撮影がすごいみたいな最近よくある議論すら全然無意味で、というかそういう言葉に落とし込んでる頃にはもう遅い。瞬間を感覚で掴めた人間に追いつけない。フリクリピロウズのMVではない。

 

木崎江利花がこっそりとピアノを弾く。小路が感嘆し、蛇森はほぞを噛む。その瞬間の緊張した柔らかな空気が僕らにも伝わって、優しく、或いは苦々しく肌を撫でる。今年既に大きな話題を呼んでいる作画は沢山あるが、これこそが紛れもない作画回だと思った。

 

以上