絵、音楽

ずっと小粋でいたいんじゃなかったのかよ

寂しさに負けそうになって、明日が怖くて、それでも優しさを振り絞っていくんじゃなかったのかよ

 

 

生き方が分からない。

 

自立しているし、友達は多い方。自分の長所にも短所にもほとんど自覚的だ。

20代の間、即ちあと5年の間は、まあ目先の楽しいこととかやりたいことをこなして生きていくんだと思う。色々と悩みはあってもなんだかんだ。

でも30歳になっても自分が生きてる未来が全く想像つかない。

そう考えていたところに、津野米咲が29歳で自殺したというニュースが流れてきた。

 

社会に出て、歳の近い年上の人々との交流が増えた。

だから、30歳を迎えた程度では容姿や思考や体力の限界値が大して鈍らないのは知っている。お手軽な趣味で溢れ返っている世の中だから、それを糧になんとなく生きていけるのも知っている。

でも本当に大切なものは確実に減っていく。もう少し正確に言うと、本当に大切なもの・ことの順番が分からなくなって、だんだんと自分から遠ざかっていく。それはやがて白い靄みたいなものになって身を包み、視界がどんどん悪くなる故、自分から手を伸ばすのも難しい。

そうなると、人は限界値を目指さなくなる。本来ならまだ鈍っていなくても、結果として鈍る。

 

俺はたぶんそれでは駄目だ。

常に寿命を削るように限界の力を出し続けることにはほとほと疲れたからもう辞めると決めたけど、それでもいざというタイミングで限界に手を伸ばせないようではやっぱり生きてる意味が無い。

ていうか、所謂"普通の幸せ"ってそういう風に手に入れるのだと思う。本能的にいつか限界値を目指せなくなることを知っていて、本能的に、他意は無く、良い意味で、保険をかけておくんだろうな、もっとずっと前から。

俺はずっと音楽にのめり込み過ぎていて気付かなかったよ。

 

学生時代をもっともっと丁寧に過ごして、自分にとっても相手にとっても取り敢えずその時だけでも互いに一番大切だと思える存在を見つけて守るべきだったという思いばかりが募る日々。

社会に出てからの3か月間は言うならば全く予期してなかったロスタイムで、それこそ死ぬ気で守り抜くべきだったんだろうな。

それこそあれですよ、あの頃、見事に「大切」の順番が分からなくなってた。

社会不適合者の烙印を大学3年まで捺され続けてとにかく怖かったものだから、いざ社会に出てみたら色んな人たちが仲良くしてくれてすっごく嬉しかったんですよね。本当に何年ぶりか、一番まともだった頃の自分に戻れた感覚があって、技術的な面で頼られるのも誇らしかったし、何より他愛もない会話で毎日笑えてるのがこの上なく幸せで。

だから全部大切にしたくて、順番を間違えた。というか、順番を付けたくなかった。

でも、やなぎなぎの『芽ぐみの雨』に「何もかも大切なのに捨てる順番を考えるのは何故?」って歌詞がありますよね。嫌でも順番は付けなきゃいけなかったんですよ。

 

やっぱり残酷さで満ちてるよなあ、この世界。

まだ俺はギリギリ、ほんとにギリギリ、寂しさに負けそうになって、明日が怖くて、それでも優しさを振り絞っているつもりだけど。

津野米咲は29歳で寂しさに負けた。『KOIKI』の歌詞には、本当に何度救われてきたか分からないほどなのに。それほどのものを創りあげる人なのに。

 

ますます、俺もどこで事切れるか分からなくなってしまった。

 

 

 

いま作詞諸々で携わってるとある曲は、色んな要素を詰め込んではいるんだけど本質的には大きく捉えると「死」をテーマにしています。

これを創り終えたとき、自分の中で何か死生観が変わるだろうか......。分からない。