絵、音楽

ぜろ

 

去年の春m3からちょうど一年間にわたる創作活動から、遂に足を洗うときが来た。

 

請け負っている案件で未済のものは、正真正銘ゼロになった。

根を掘り下げればどこまで遡ればいいのかも分からない、泥臭くてダサくて、だけどわずかに輝きを放った作家人生の全てが終わる。

 

 

最初は、大学時代の大切な友人への恩返しのつもりで恐る恐る足を踏み入れたものだったのが(尤も、実際には大学4年の終わり頃から制作に携わっているのだが)、だんだんと「自分にしか表現できないものが創れて、それがもし、万人に受けてほしいなんて全く思わないが、もし多くの人の心に響いたとしたらそれはどんなに嬉しく、美しいことだろう」という想いが強くなっていった。

 

その結果、作詞家としての活動がメインではあったが、最終的にはアルバムのプロダクションデザイナーまで務めた。各イラストの細かなディレクションを行い、自身で一部の主要なデザインも務めた。

 

僕には、僕にしか表現できない、僕にしか伝えられない、僕にしか言葉に起こせない、僕にしか視覚的イメージに起こせない事象を形に出来る能力が眠っていた。正確には、自分には才能なんて無いと決めつけ、ずっと蓋をして目を覚まさないようにしていた。

その能力は、先天的に獲得したものと後天的に獲得したもののハイブリッドであるように思う。前者は、単純に地頭の良さと、後述するが言語の素養だ。後者は、生まれてからずっと身を置いてきた環境に依存する、知的好奇心の強さと、論理的思考力だ。

ずっと、創作物が大好きだった。音楽はもちろん、漫画もイラストもデザインもアニメも小説も映画もゲームも動画も大好きで、それらは、分けて捉えてしまう人が多いのだけど、本質的にはぜんぶ地続きにあって、自身の中でどんどん体系が結びついていくのが本当に面白かった。しかも、地続きなのはなにも創作の範疇に限った話ではない。この世のあらゆる物事は、深い深い根っこの部分で必ず繋がっている。創作物があるのならば、その向こう側には必ずそれを作った人間がいて、その人の半生は、どんなに些細なことでも必ず作品に反映されている。そこに到達してから、作品を通じて、創作のことから、果ては僕らが住むこの世界についてまで、「考える」ということが楽しくて、好きで仕方がなくて、僕は半生の半分をそれに捧げた。もう半分は友達に。

創作のフィールドにきちんと足を踏み入れてから初めて分かったのだが、どうやらここまでの知識量、知識の幅、そして思考量があること自体が凄い能力であるらしい。実際、これは誇らしさを感じると同時に残念なことでもあったのだが、知識量と知識の幅に限っても、同人音楽界隈周辺で僕に迫る人はまず居なかった。

「自分には才能なんて無いと決めつけ」てしまっていたのも、天高く積み上がった知識量と思考量のてっぺんに立ち、あまりにも俯瞰的過ぎたためなのかも知れない。

 

その上で、「僕にしか表現できない」こととは一体なんだったのか、と言うと、要するに「創作物が好きで仕方が無いのにここまで色んなものをこじらせてしまった者が、創作物が好きで仕方が無いのに僕と同じように色んなものをこじらせてしまった者へ向ける、泥臭くもまだ青き理性に強く立つ人間賛歌」だった。

これには、僕が僕の半生で僕なりにずっと考え続け、実践し続けてきた「優しさとは何か?」に対する解答も含まれている。

実際に僕は、(一部の楽曲を除き)これに沿ってずっと作詞を行ってきた。

そして、他でもない僕自身がそれらの歌詞に救われてきたのは言うまでもない。

 

そもそも大前提として、幾度も不意に接近する淡い死の匂いを感じながらも僕はまだ生きている。それどころか、死の匂いを感じる度に思考がどんどん研ぎ澄まされていくようでさえあった。

エヴァの有名な台詞の通りだ。まだ生きているのだから、しっかり生きて、それから死ぬべきだ。

 

それからは、本当に色んなものに触れた。

言葉の力、作り手の気持ち、受け取り手の気持ち、人のかたち、世界のかたち、魂の構造。

細かくは割愛する。

 

前述の通り、作詞家として、そしてプロダクションデザイナーとして僕は依頼を受けて活動してきた。

後者については、だいたい前述の通りのことを実践に起こした結果で、僕には漫画やイラストや作画に関しての知識量と思考量で誰にも負けていない自負があったし、それらと音楽に本質的な垣根は一切無い、という考えを応用したまでで、それ以上でもそれ以下でも無い。

ただ、全く予期していなかったし、本当に納得の行くアートワークを創り上げることができたので大変嬉しく思っている。心の底から、漫画やイラストや作画が好きで本当に良かった、と思う。曲がりなりにも商業で活躍されているイラストレーターの方と対等に作品を創り上げていくことができたのは、本当に得難い経験であった。

前者については、僕が音楽を愛して止まないのは言うまでもないが、それと同時に僕には言語の素養があった。小学生の頃からずっと国語の成績はとても良くて、小説や歌詞から増田まで、とにかく言葉が紡がれているものだったらそれが自然発生的であればあるほど積極的に摂取してきた。高校生になった辺りで、自身の中で言語体系がきちんと構築されてからは、それを日本語以外の言語に応用することも訳無かった。要するに、英語の成績もとても良かったのだ。

言語感覚、特に日本語表現にはかなりの自信があった。作詞家として活動することになる直前の一年間は、ちょうど自身の日本語表現に対して他者、それもプロ中のプロから明確に非常に高い評価を受けて、確かな自信がついたタイミングでもあった。

だから、創作に発展させるつもりはまるで無かったのだが、なんとなしにブログを開設して日記のようなものをつけるのが常態化していた。

 

そんなある日、作曲家として活躍している大学の友達から、作詞の依頼が飛んで来た。
あまり他人に見られている意識は無かったが、どうも僕のブログに感銘を受けたらしい。

色々考えた末、僕はそれを承諾した。
全ての始まりというのは、往々にして案外瑣末で唐突なものである。

 

全ての終わりというのは、往々にしてやけに感動的で奇跡的なものらしい。

最後に済んだ依頼は、その友達からの依頼だった。色々あって進行状況が滞りに滞り、企画段階にあった熱も、夢みたいだけど届かないことはないかも知れないボーカル依頼の夢も、到底失われて、叶わなくなってしまったかも知れなくて、でも絶対に諦める訳にはいかなくて、ずっと心を、熱を、ふらふらになりながらも保ち続けた結果、夢のようなボーカル依頼が本当に通ってしまった。

ちょうど一年前、その友達からの依頼を受けて作詞をしたときも、僕らが知り合ってからずっと僕らの憧れだったボーカルさんに依頼が通り、二人で諸手を挙げて喜んだ。

まるで、その時の再現のようじゃないか。僕は、今回のボーカル依頼が通った瞬間、涙が止まらなくなってしまった。

こんな奇跡ってあるか。

 

かくして、僕の作家人生という物語の暗幕は、夜の帳のように、音も無く下りていく。

 

 

尤も、まだやるべきことは残っているんだけど。

創作活動に、本当の終わりなんて無いのかも知れないんだよな。

まずボーカルのデータが届いたらその確認と編曲の案出しをすることになるし、某アルバムの制作中の楽曲群に対して助言が必要そうならそれをすることだって厭わない。 

それが済んでも、まだ「作品の完成を見届ける」という役割が僕にはあるし、なんなら作詞もアートワークも含めて僕が創ってきた全てのものたちは、完成して、イベントでの頒布が終わってもこの世に、誰かの心に残り続けるのだと思うと、本当に、創作活動に本当の終わりなんて無いのかも知れない。

 

ただまあ、いち段落したのは紛うことなき事実だ。本当に、本当にこの数か月、あまりにも理不尽な目にも遭ったし、本当に辛いことも沢山あったけど、本当に頑張った。思えばあの理不尽からまだ2か月程度しか経っていないんだよな。本当によく張り詰めて頑張ったと思う。僕はこの数か月の創作物に、本当にありったけの希望を込めた。僕のこの熱が、絶対に報われますように、と。

春m3と某案件、本当に楽しみにしていてください。

とりあえず僕は明日から友達と北海道に旅行に行ってきます。