絵、音楽

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』感想0913

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』を観てきた。

様々な勇気を振り絞って観たので、うまく言葉がまとまらない。

私情への囚われとか、あの事件に対する悲しみとか、本当に色々なものを乗り越えて観た。観たんだ。こういう気持ちを成文化するとき、どういう嚆矢が適切なんだっけ。考えがまとまらない。

 

ただひとつ、今すぐ言えるのは、私情とか事件とかは関係無しに、間違いなく今年の映画の中で一番良かった物のひとつだということ。

 

とりあえず、書き始めてみようか。

映画の冒頭を回想しながら、手を動かしてみる。そうすると、自ずと色々な言葉が、気持ちが溢れてくるものだ。

 

思うに、やはりこの物語はもともとTVシリーズではなく劇場向きだったのだと思う。
もちろんTVシリーズあっての作品だし、あれこれ言いつつも全話リアルタイムで見ていた俺だけど、まずシネマスコープがあまりにも効果的過ぎて驚いてしまった。

TVシリーズであっても映画的な撮り方にとことん腐心する山田尚子でさえ採用してこなかったシネマスコープを、この作品は採用した。
予てから石立太一山田尚子の演出には共通項があると俺は考えているが、果たしてこれが監督の藤田発案なのか、監修の石立発案なのかが語られる日は来るのだろうか。

 

物語の構成も本当に素晴らしかった。
二つの大きな山があり、前半はヴァイオレットとエイミー、後半はベネディクトとテイラーにスポットが当てられる。そして、前半の山がさながらクライマックスのように大きく聳えていながらも二つの物語は深く深く繋がっており、ラストシーンの魅力をいっそう際立たせるのだ。

というか、物語の構成こそが一番素晴らしかった点だと思う。
画面は勿論良かった。レイアウトの取り方も、線が非常に多いデザインの動かし方も、全体を通して無難ではあるが高水準で安定していた。
ただ、やはり佐藤達也木上益治が参加していない以上、どうしても瞬間最大風速では劣る。

特に良かったのが、TVシリーズでは殆ど出番が無かったベネディクトに大きくスポットが当てられたことだ。内山昂輝の演技にも一層魂が籠っていたように感じた。悠木碧によるテイラーの演技が素晴らしかったことは言うまでもない。
これらの、TVシリーズでは見られなかったキャラの活躍も踏まえ、やはりこの物語は劇場向きだと感じる。

テイラーというのは新キャラなのだが、笑ったときにジブリ作品のように歯の一本一本がはっきりと見えるデザインをしていた。シネスコに加えて、京都史上初の試みだと思われる。このデザインが完全に成功しているかと言われると回答に惑うが、結果として全体のバランスは良いのだから目を瞑ろうと思う。

 

そして、エンドロール。
茅原実里が歌う新曲『エイミー』が本当に素晴らしかった。歌唱:茅原実里と作曲:菊田大介のコンビは、今後もずっと石立太一作品に関わり続けて欲しい。

 

そう思っていたら、作監のテロップに「池田晶子」の四文字が見えた。

サポーティングスタッフのテロップに武本康弘西屋太志の名前があった。

絶対に、この気持ちを忘れないようにしようと思った。

本当に他愛もない雑記 米澤穂信,アニメ,商店街 など

なんとなく今日思い付いたこと・思い出したことをつらつらと

 

 

ここ最近は平日毎日、復職準備のために早起きして日中ずっと図書館で小説を読み耽る生活を続けている。

創作関連でまだまだやる事がある中、このルーチンはなかなかハードだ......。だいたい夕方頃に帰宅して自炊をしてから創作の作業を片付けるのだが、創作は、創るのにも摂取するのにもエネルギーが必要だ、と痛感させられる。

無論小説は好きで読んでいるし基本的に好きな作家以外読まないけど、やっぱりそれでもエネルギーは要る......ダラダラと仕事をしていた方が全然ラクだ。

 

まあ、とは言え、このルーチンのおかげで米澤穂信の著作をあらかた読み終えた。

<古典部>シリーズ以外の作品でひと際印象に残ったのは、色々あるけど一つ選ぶとしたらやはり『満願』だろうか。

米澤穂信作品の本質は、ずばり「人間の感情の機微」にある。

『満願』を読む前の自分、大雑把に言うと<古典部>シリーズ・<小市民>シリーズ・それから最新作の『本と鍵の季節』などの青春ミステリ系しか読んだことがなかった頃の自分、の主張は「例えば<古典部>シリーズのミステリ要素はそのひとつひとつのトリックの巧拙に関わらず"ガワ"の側面が強く、本体は青春群像劇であって、『クドリャフカの順番』編ばかりが評価され、ミステリ要素の薄い『あきましておめでとう』や『遠まわりする雛』が評価されないのは本質的でない」というものだったが、どうもこれは誤りを含んでいる、と今は思う。

予てから米澤穂信作品の本質は「人間の感情の機微」にある、と考えていたこと自体に変わりは無いが、おれはそれをかなり狭い範囲にしか適用していなかった。まあ要するに、ミステリ要素は"ガワ"などでは決してなかった。

結局のところ、米澤穂信が描く全ての事象は「人間の感情の機微」に起因するのだ。

本格ミステリでも、青春群像劇でも、日常の謎でも、全ての始まりは「人間同士が接触したときに生じる、この世の僅かな綻び」だ。その穴が、現実世界では大した拡がりを見せなかったり縫い合わされたりするが、フィクションの世界なら形はどうあれ何かしらの拡がりを見せる。その結果として凄惨な事件に発展したり、深い人間関係に発展したり、ただそれだけのことなのだ。

このことが分かれば、「本格ミステリ」とされており全体的に仄暗い雰囲気で構成されている『満願』は、青春ミステリに傾倒していた読者でも違和感無く読み進めることができる。

まあ、「魅力的なレギュラーキャラクターたちに依存しない短編集である」という意味での違いはあるが。

 

 

余談だが、なんとなしにラノベの棚を見ていたらアニメ『絶対少年』の横浜編のノベライズを発見した。想定を大きく上回る地場の強さだ。

そもそもこのアニメの存在を知る人はアニメファンの中でもごく少数だし、ノベライズされていることまで知っている人間となれば1000人にも満たないのではないだろうか。

あまりにも驚いたので勢いで借りてしまったが、著者が実際にアニメ本編で数話分の脚本を書いていることもあって、セリフはアニメの台本と恐らく一言一句違いが無い。だのに、セリフ以外の文章についてはアニメ本編にモノローグがほとんど無い(もしかしたら全く無い?)ため著者の解釈で補完されており、「それは監督や演出の意図と異なっているんじゃ・・・?」という部分も多分に見受けられた。

あまり完成度の高いノベライズとは言えないだろう。もっとも、『絶対少年』はやはりアニメでしか成立し得ない空気感が多くを占めている、冒険心と熱が込められた素晴らしいオリジナルアニメ作品である、ということでもあると思う。

とは言え、理絵子の家の最寄り駅が桜木町であることや希紗の家の最寄り駅が山手であることや、伊勢佐木モールという固有名詞が登場したことには少なからず驚いた。これらの情報は設定資料にはあったとしても、アニメ本編で具体的にキャラクターの口から発せられてはいないはずだ。まあ伊勢佐木モールなんかは背景美術から簡単に特定できるが、山手はそうもいかなかっただろう。思わぬ収穫だった。

 

 

自宅近くの商店街で、何故かゲスの極み乙女の『戦ってしまうよ』のショボい耳コピがBGMとしてかかっていた。

イントロからして客がビックリするだろ。しかも割と編曲ありきの曲なのに。謎チョイス

 

 

家長むぎって久野美咲とめちゃくちゃ声似てるな

 

 

以上

0612日記 人として

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(6/12 22時頃  野毛山公園前にて)

 

 

自分の気持ちが分からない。

 

会社からの帰路、大して仲が良い訳でもないけど同じ寮に住んでいる同僚たちと、夕食を買い込みにスーパーに立ち寄る。

べつにこれ自体はなんでもないことだ。いくら俺が人間的に興味が無い会社の同僚との無用な遭遇をなるたけ避けるようにしていたって、タイミング次第ではこういうことも起こる。

 

本当になんでもない、他愛も無い会話が展開される。今日しんどかったね~とか、明日の席替えの話とか、ごはん派かパスタ派かとか、ここ2か月で得た良い惣菜の知見に関する話だとか、割引きシールの話とか。

 

あれ、意外と人生ってこんなもんでいいのかな。

そうだ、あと、やっとの思いで手に入れた、プレミアがついてる創作同人誌が近々届くんだった。それが楽しみなんだっだ。俺の人生における幸福の総量を考えたら、こんなもんで十分なんじゃないか。

 

 

今、無理をする必要なんか無いんじゃないのか。

 そんなことが一瞬でも頭をよぎってしまった自分に嫌気が差す。

 

 

 というか無理をする/しない以前に、自分の気持ちすらよく分からない。他の人間の気持ちなんてもっと分からないのに。

睡眠障害だって依然として治る気配は無い。

そういう精神的弱さに、何か変化がもたらされるかも、という淡い期待、というか打算もあったんじゃなかったっけ。

それすらも、精神が弱過ぎてどうでもよくなってくる。

むしろ、ならばいっそ、目下その打算だけを行動原理とすべきなのか、とすら思えてくる。

 

 

俺はずっと、「考えることを辞めるぐらいだったら死んでた方がマシ」という理念を掲げてきたが、実際には「今後もずっと考えることを辞めない」ことはたぶんとても難しい。

今の研修を受けてる限り、配属後の仕事にやりがいなんて感じなさそうだ。まあ分かってたけど。

創作物に対する熱は未だ冷めないが、これは精神的・肉体的に一定以上元気な人々しか享受できないものなのではないか、と最近思い始めてきた。とは言え娯楽でもあるのだから、その「一定」のハードルはかなり低いはずだが、今の俺はそれさえけっこう怪しい。

そう遠くないうちに、精神も、肉体も擦り減って消え失せてしまうんじゃないか。しかもそれはだんだんと摩耗されていくものだから、自分が消え失せたことに気が付くことすらないだろう。それがただただ怖い。

 

 

妹から『最近どう?』とラインが来ている。

俺にとって妹は、家族のうち、唯一仲が良かった人間だ。

 

兄として、そして人として、返す言葉が見つからない。

 

 

0314日記 運河探訪など

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卒業証明書を発行するために、運河くんだりまで赴いた。

 

1号館の自動発行機から「べーっ」と出力されたそれには、学長の氏名が記載され、仰々しいハンコが捺されていた。尤も、印刷物に過ぎないので、「捺す」という表現は、こう、スピリチュアルな側面から捉えると不適切かも知れない。まあ何千何万と発行される書類にスピリットを求める学生なんていないだろうしどうでもいいな。更にどうでもいいことに、俺は今日初めて学長の氏名を知った。

ともかく、遊びの予定以外で運河を訪れることはもう無いのだ。

 

そう思うと少し感慨深くもなるもので、1号館を離れた俺の足は、キャンパスの奥の方へと向かっていた。

あれだけ嫌だった数学(特に解析系)から解放され、こんなに清々しい気持ちで学内を探訪するのは一体何年ぶりだろうかと思う。講義やゼミが終わるや否やなるべく早く、なるべく遠くへ逃げるように帰る学生生活を続け、目を逸らしがちだった大学の本質が見えてくる。

 

どうせだから、とまずは4号館の掲示板を見納めることにする。

見納める、と言っても、前述のような学生生活をしていた俺がマトモに掲示物を見たことなんてほとんどあるはずもなく、のっけからなかなか刺激が強い。世の中には様々な掲示があるものだ。

そんな中に、俺と同時期に入学し、3年目以降疎遠になった人間の名前を発見する。今思えば、かつて学科で一緒に居た連中は皆一様にそもそも「陽」の性質を持ち合わせていたし、それでいて学業もある程度以上に秀でていたので俺と相容れるはずもなかった。まあそれを悲観していた訳でもないが、楽観できなかったのも事実だと思う。そういう部分で俺の「陰」性はますます強まっていった。

 

ただ、一度だけ奴の家に訪れたことがある。大学のグループ課題半分、遊び半分みたいな感じだったと思う。

そのとき、本棚を見たら松本大洋の『ピンポン』が揃えてあったのだ。

『ピンポン』を目にして俺が反応しない訳が無い。普段あまり口を開かないのに、急に饒舌になって好きな話数とかを聞き始める俺。「陰」そのものである。

その場に居た全員が苦笑しながらも、奴だけは「いや、『ピンポン』好きな人間に悪いのはいねえからよ」と言うのだった。

 

気が付いたらそんなエピソードを思い出していた。そう言えば、確定した時期は違うがこいつも1回留年していたんだった。同じタイミングでの卒業となる。つーかなんでこいつこの時期に呼び出されてんだよ......

もし卒業式の後の卒業証書貰う会で見掛けたら面白いな、互いに驚くことだろう......とか思いながら4号館を後にした。

 

こんな時期でも、大学に人はいる。「陽」たちが中庭でフリスビーをしたりしている。フリスビーを用いたあのスポーツ...なんだっけ、名前も忘れてしまったよ。それのサークルが存在したことも思い出す。

目を逸らし続けていたが、こいつらにもそれぞれに人生がある。きっとどいつもこいつも、口では留年の恐怖に怯える風を出しておきながら、単位くらい要領よく集めていて、けっこう幸せで健康的な人生を過ごしているのだ。童貞でもないだろう。「バラ色のキャンパスライフ」というやつかも知れない。

橋本絵莉子波多野裕文の『飛翔』の歌詞を思い出す。「もう一度やり直せても  同じことを選ぼうと思う」と橋本絵莉子(チャットモンチー)は言う。俺もそうだと思う。ていうか俺はどうやってもこいつらみたいなキャンパスライフは送れないだろうし、送らないだろうなと思う。

不眠症をカミングアウトすると、よく「考えることを辞めれば楽になれますよ」って言われる。ほんとによく言われるけど、俺にとってはそれは死んでるのと同じだ。考えるのを辞めて社会にとろとろ溶け込んでいくくらいだったら自律神経こじらせて死んだ方がマシである。

 

とは言えこういうことを考えてると動けなくなってきて、出先でそれはまずいので、28日に発売されるチャットモンチーのトリビュートアルバムがすげえ楽しみ、って方向に思考を無理矢理シフトしていく。

いやほんと、すげえ楽しみ。爆音で、チャットモンチーを聞いた、涙が、もう涙がぼろぼろ、溢れた、経験があるのか?おまえらは

 

 

夕食として麒麟児の油そばを食って帰ることにした。

噂通り、80円値上がりしていた。流石に麒麟児にはそれなりに足繁く通っていたので、割合最近の話だろう。思えば、「食」の面ではかなり良いタイミングで理科大に通っていたのだ。麒麟児がちょうど開店したあたりで入学し、ちょうど油そばが高くなる頃に卒業する。

味でも量でもお金においても、大変お世話になった店だった。本当に有難う、と思い、泣きながら麺をすすった。嘘だけど。

 

 

最後に、麒麟児から少し川の方に行ったところにある長屋?みたいな建物を見て帰った。冒頭に貼った写真は、そのとき撮ったものである。

俺は本当にこの建物の、この向きが好きだった。逆から見ると店であることが分かるのだが、要するにこの向きは「裏」側である。

「裏」特有の雑然とした雰囲気とか、古過ぎず、新し過ぎない日本らしい建築様式であったりとか、アンテナの角度とか、室外機の配置とか、辺りに高い建物がほとんど無いので屋根を挟んで空が綺麗に見えるあたりとか、全て好きだった。

まあ要するに、「現代」「日本」「ケ」っていう俺の好きな三大要素を全て満たしていた。

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(同じ場所、2~3年前に撮った写真)

犬派だが、猫を写真によく収めているかも知れない。今気付いた。

というか、絵とか写真におけるモチーフとしては犬より猫の方が好きだ。っていうかたぶん普遍的に優れている。なんでだろう。

ちょっとしばらくはこれについて考えてみることにします。

 

 

あと、帰りにツタヤで『THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 15 桜の頃』を借りた。

ササキトモコの新曲が本当に良い。最近、微妙にフレンチポップの時代が来ていませんか?